コミック&紙芝居

以下コミック『ツェッペリンが舞い降りた日』は、地元在住の漫画家うるの拓也氏(当倶楽部会員)が、2007年の「堀越恒二氏インタビュー」に同席取材し、霞月楼、(株)日本飛行船、土浦ツェッペリン倶楽部の協力・監修のもとで描いた作品(全80ページ)です。
同作品は2008年の土浦市市制80周年記念出版となり、市内および近郊の図書館、関係各位に寄贈された他、一部は一般販売されました。
(うるの拓也氏はグラフィック・デザイナーでもあり、執筆当時は最新型飛行船「ツェッペリンNT号」を運用する(株)日本飛行船の各種広報物、WEBサイト等の企画制作も担当していました)

また2018年には、同コミックをダイジェスト版として再編集した「紙芝居バージョン」が作成され、全国各地のイベント等で上演されています。
(以下、掲載見本は紙芝居バージョンのもの)

表紙

1ページ

今から約90年前、土浦にとても大きなものが飛んできました。
それはショッピングモール丸ごとくらいもある本当に大きなもので、もちろん誰も見たことはありません。
あまりの大きさに土浦の空は真っ暗になり、おどろいた鳥たちが飛び立ち、人々はみんな空を見上げました。
その大きなものとは、これまでに人間が作った最も大きな空飛ぶ乗り物の1つ……

2ページ

……巨大飛行船「ツェッペリン号」だったのです。
このお話は、そんな大きな飛行船と土浦の少年の「本当にあった物語」です。
そして、今も土浦の元気を支えている物語でもあります。
土浦の少年と飛行船ツェッペリン号にどんなことがあったのか、一緒に見ていきましょう。

3ページ

飛行船というのは、大きな風船のようなものにエンジンや人が乗る場所をつけた乗り物です。
今から90年ほど昔、世界にはたくさんの飛行船があり、新しい時代の乗り物として期待されていました。
中でも、ドイツでつくられた飛行船ツェッペリン号は、当時の科学力のすべてを使って作られた最新型の飛行船。
全長236.6メートルもあり、空を飛ぶ乗り物としては世界最大です。

4ページ

そのツェッペリン号が、大冒険に挑戦することになりました。
それは世界一周。
アメリカのレイクハーストという街から出発し、地球を一周して帰って来る。
もちろん、そんなことはそれまで誰もやったことがありません。
世界中の人々が大注目する世紀の大冒険なのです。

5ページ

アメリカを飛び立ったツェッペリン号は、生まれ故郷のドイツで燃料を補給した後は、たった一度しか着陸しません。
その、たった一回だけの着陸場所が、この土浦だったのです。
その頃、土浦の霞ヶ浦のそばには、ドイツから運んできた巨大な格納庫がありました。
冒険旅行の途中で、世界最大の飛行船を整備したり点検したりできる場所は、世界中で土浦だけだったのです。

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そんな飛行船ツェッペリン号が土浦にやってきたのは、1929年8月19日。
世界中が注目している飛行船が日本に、土浦にやってくるのです。
もちろん、日本中の人も大興奮して迎えました。
その中に、土浦で暮らす少年「堀越恒二(ほりこしつねじ)」くんがいました。

7ページ

恒二くんの家でもある土浦の料亭「霞月楼(かげつろう)」は、歴史ある立派な料亭で、ツェッペリン号でやってきた人たちを歓迎するパーティなども霞月楼で行われることになっていました。
まだ子供の恒二くんは、偉い人が大勢集まるパーティに出ることはできませんが、ツェッペリン号に乗ってみたい、中を見てみたいと憧れていました。

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そんな恒二くんに、すごいチャンスがきます。
仲のよかった日本軍の将校さんが、こっそり乗せてあげると言ってくれたのです。
ツェッペリン号に乗れるというのは、今で言えば宇宙ロケットに乗れるようなものです。普通なら絶対に無理なことです。
恒二くんは大喜び。うれしくて、たまりません。

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翌日、霞月楼で働いているお兄さんにリヤカーに乗せてもらい、ツェッペリン号がある格納庫に行った恒二くんは、あまりの大きさにびっくりしました。
格納庫の扉1つだけで畳600枚分もあるのです。扉の片方だけで学校の体育館より大きいほどです。
格納庫全体では、小さな町が丸ごと入ってしまいそうです。

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格納庫の中では、約束通り将校さんが待っていました。
将校さんに連れられて、恒二くんはツェッペリン号の中へと入っていきました。
操縦室。無線室。調理室。
ツェッペリン号の中は、まるで空飛ぶ高級ホテルです。

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ツェッペリン号には、ピアノなどもある立派なラウンジもあります。
人々は地上の眺めを楽しみながら、ゆったりと食事を楽しむことができました。
ラウンジの奥には、ベッドなどがある客室がいくつもあり、ゆっくりと眠ることもできます。ツェッペリン号は本当に「空飛ぶ豪華客船」だったのです。

12ページ

やがてツェッペリン号は土浦を飛び立ち、東京上空を回った後、一気に太平洋を飛び越え、アメリカ・レイクハーストへと帰る世紀の冒険は大成功に終わりました。
日本でも「君はツェッペリンを見たか」が流行語になったり、たい焼きが「ツェッペリン焼き」になったり、女の人たちは飛行船を真似た「ツェッペリン巻き」という髪型をしたりと、大変な話題になったのです。

13ページ

そんなツェッペリン号に乗ったことを、恒二くんはいつまでも忘れませんでした。
それから何十年も経って大人になり、おじいさんになっても、その日のことははっきりと覚えていて、多くの人に話して聞かせてあげました。
世界がどれほど夢中になったか。土浦がどれほど注目されたか。
そんな恒二くんとツェッペリン号の思い出は、いつしか土浦の人みんなの思い出になっていきました。

14ページ

一方、ツェッペリン号の生まれ故郷ドイツの人たちも「飛行船に乗った日本の少年」のことを覚えていました。
そして2004年。約70年ぶりに恒二くんはツェッペリン号と再会します。
最新技術で新しく生まれ変わったツェッペリンNT号が、日本にやってきたのです。
土浦の人たちも再会を喜び、ツェッペリン号と恒二くんの思い出は「飛行船のまち・つちうら」という、土浦市の大切な物語となりました。

15ページ

思い出を伝えていくこと。それは大切なことなのです。
大勢を元気づけたり、夢を与えたりできるのです。
みなさんも、ツェッペリン号と恒二くんの物語を伝えていってください。
そして、みなさんも夢を持って、新しい土浦の物語をつくっていってください。

(end)