飛行船の歴史と未来
黎明期(18世紀後半〜19世紀)
1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟によるバルーン(気球)の浮揚実験が行われた。
以来、フランスを中心に盛んにバルーン実験が行われるようになり、19世紀になるとバルーンにエンジンをつけたものが登場する。
すなわち、飛行船(軟式飛行船)の始まりである。
連続航行可能な本格的な飛行船として初めて飛行したのは、フランスのアンリ・ジファールである。アンリは蒸気機関の研究で知られており、1850年に蒸気機関用の噴射装置を発明した。そして1852年、全長145フィート(44.196メートル)の飛行船に石炭ガス蒸気機関を搭載し、直径3.5 メートルの3枚羽根プロペラを動かして平均時速6~8kmでパリ〜トラップ間の約27kmを飛行することに成功した。これが航行可能な飛行船による史上初の動力飛行だ。
空を自由に移動できる。それは歴史的な快挙であり、世界中が注目した。
日本でも1877年、陸海軍および工部大学が、初の係留バルーン浮揚を成功させた。約200メートルの上昇で、史上初めて日本人が空を飛んだのである。
一方ドイツでは、ツェッペリン伯爵が政府に硬式飛行船の建造計画を働きかけ、1894年に設計が完了。そして19世紀最後の年、1900年7月にLZ-1号が初飛行する。来るべき20世紀が飛行船の世紀となることを象徴したような出来事だったのだ。
1783年 | 6月 | フランスのモンゴルフィエ兄弟が直径35フィートの紙製バルーンを製作。煙を吹き込み、浮揚に成功。 |
8月 | フランスのJ・A・シャルル教授が水素ガス使用の絹製バルーンを製作、浮揚させた。 | |
11月 | フランスのピエール・ド・ロジェが、モンゴルフィエ兄弟の製作したバルーンで飛行。飛行時間26分、距離12km、高度900m。 | |
1784年 | — | ローベル兄弟がバロネットつきの飛行船を製作。櫂やパラソルの開閉によって人力飛行に成功。 |
1785年 | 1月 | フランスのジャン・ピエール・ブランシャ−ルが、カレーからドーヴァーまでをフリー・バルーンで横断に成功。飛行時間3時間。 |
1803年 | 8月 | ドイツでロバートソンら、世界最初のバルーンによる科学調査飛行を行う。飛行距離140km、高度約7400m。 |
1821年 | — | イギリスのチャールズ・グリーンが、初めてバルーンに石炭ガスを使用。 |
1852年 | 9月 | フランスのアンリ・ジファールが、全長145フィートのシガー状飛行船に3馬力の石炭ガス使用蒸気機関を搭載。直径3.5mの3枚羽根プロペラを駆動して距離27kmの平均時速6〜8kmで飛行。航行可能な飛行船による人類初の飛行。 |
1860年 | — | フランスのE・ルノワが、実用的なガス・エンジンを発明。このエンジンは1872年に初めて飛行船に搭載された。 |
1870年 | — | フランスのデュプイ・ド・ロームが人力飛行船を製作。 |
1872年 | — | デュプイ・ド・ロームが、人力飛行船で無風時、時速9kmで飛行に成功。 ウィーンで、ルノワのエンジンを改良した内燃機関つきの飛行船が建造される。 |
1877年 | 5月 | 日本の陸海軍および工部大学が、日本で初めて係留バルーン浮揚。日本人の搭乗はこれが最初で、200m上昇。 |
1887年 | — | ドイツのツェッペリン伯がドイツ政府に硬式飛行船の建造計画を進言。 |
1894年 | — | ドイツのツェッペリン伯、硬式飛行船の設計完了。 アメリカのデクスター、カンサス間で、ヘリウムガスが発見される。 |
1898年 | — | ブラジル人のサントス・デュモンがフランスで1号機を建造、飛行に成功(のち合計14隻を建造)。 |
1900年 | 7月 | ドイツのツェッペリン伯爵が第1号硬式飛行船LZ1号の初飛行に成功。高度150mまで上昇。実用的硬式飛行船の始まりである。 |
10月 | LZ1号、第2回目の飛行を行う。滞空80分。3回目の飛行では滞空23分。 |
飛行船時代(20世紀前半)
前述のように、20世紀初期は、まさに飛行船の時代だった。
1907年、ツェッペリン式LZ23号が21時間滞空に成功。翌1908年にはLZ24号が初飛行。ドイツをはじめとするヨーロッパ各国、アメリカ、日本でも飛行船の研究開発が盛んになり、次々と新しい飛行船が生まれていくことになる。それは第一次世界大戦を背景とした軍事利用の側面も強かったが、それだけ人々の空への憧れが大きかったとも言える。
1925年、そうした思いを受け止めたアメリカのグッドイヤー社が商業宣伝用の飛行船を飛ばすようになる。そして1929年には、ついにグラーフ・ツェッペリン号(LZ127号)が、飛行船による世界一周の快挙を成し遂げる。その後、同ツェッペリンシリーズの飛行船は、ドイツ国内での旅客輸送だけでも2万4000人、ドイツから北米・南米向けに就航された大西洋横断の定期航路では通算で3万7000人の乗客を運んでいる。アメリカのエンパイアステートビルの天辺が尖塔状なのは、飛行船の駅として係留するためだったという。高層ビルの最上階から空の旅に出るという夢のような光景は、20世紀初期には現実だったのである。
だが1937年、ヒンデンブルグ号(LZ129)の爆発事故が起こり世界に衝撃を与えた。また、1903年のライト兄弟による固定翼機による初飛行、1927年、リンドバーグによる大西洋無着陸飛行、さらに1931年には北太平洋横断飛行にも成功するなど、飛行機が急速な発展を遂げたこともあり、航空機の主役は飛行船から飛行機へと移っていくのである。
1907年 | — | ドイツで第1号半硬式船、Ma号完成。 ドイツのツェッペリン式LZ3号が21時間滞空に成功。 |
1908年 | 6月 | ツェッペリン式LZ4号が初飛行。 ドイツの第2号半硬式船M1号が建造される。 オランダのカメリン・オンネスがヘリウムの液化に成功。 |
1909年 | 5月 | ツェッペリン式LZ5号初飛行。 |
6月 | イギリス人ハミルトンがアメリカ製メイヤー軟式飛行船で日本、上野上空を初公開飛行。 | |
11月 | ドイツのシュッテがランツ式木製硬式船第1号SL1号を完成。 ドイツで飛行船による世界初の航空輸送会社DELAGが設立される。 | |
12月 | ドイツがLZ3号、LZ5号の2隻で飛行船隊を編成。 | |
1910年 | 6月 | LZ7、ドイチュラント号が世界初の旅客飛行船として初飛行に成功。 |
9月 | 日本の山田式1号飛行船が初飛行に成功。 | |
1911年 | 3月 | ドイツ、LZ8号初飛行。DELAG社付属の客船として就航。 |
6月 | LZ10号初飛行。”幸運の船”と呼ばれ、旅客飛行船としてDELAGに所属(シュバーベン号) | |
10月 | 山田式イ号飛行船が日本初の軍用飛行船として初飛行。33kmを1時間40分で飛ぶ。 アメリカのグットイヤー社が飛行船の研究に着手。 ドイツのJ・シュッテとK・ランツが共同で木骨飛行船SL1号を建造。飛行に成功。 イギリスで初めて外破にジュラルミンを張ったヴィッカース1号飛行船初飛行 | |
1912年 | 10月 | ドイツのLZ14号完成。ドイツ海軍の第1号船(L1号) フランス、硬式船スピエス号建造。 アメリカ、グッドイヤー社が初めてバルーンを製作。 |
1916年 | 5月 | 日本の雄飛号が益田少佐の指揮で所沢ー大阪間の飛行に成功。 |
1917年 | — | アメリカ、軟式NAVY-B型を大量生産、当時の主力飛行船となった。イギリスにも多数輸出され、これが後の”ブリンプ”の語源ともなったといわれている。 |
1919年 | 8月 | ドイツ、第1次世界大戦初の民間旅客船LZ120、ボーデンゼー号を建造。 LZ120号、フリードリッヒスハーフェンーベルリン間定期航空就航。 |
1921年 | 4月 | 日本、航空法を制定。 |
1922年 | 5月 | 日本、ヴィッカース社から購入のSS1号進空。 |
10月 | 日本海軍、SS型改良船SS3号を完成。 | |
1923年 | — | 日本、東京ー大阪間往復飛行に成功。 日本、アストラ・トーレ型を輸入。初飛行を7月10日に実施。 |
12月 | 日本、第一次世界大戦の賠償としてドイツより受領の大格納庫を霞ヶ浦に再建。 | |
1924年 | 10月 | ドイツで完成したLZ126号が大西洋を横断、アメリカへ。アメリカ海軍、ロサンゼルス号と命名。横断飛行時間80時間。 |
1925年 | 9月 | アメリカ、世界初のヘリウム飛行船ピルグリム号を完成。 アメリカのグッドイヤー社、小型飛行船隊を編成。 |
1926年 | 5月 | イタリアのノビレ将軍、探険家アムンゼンらとともに半硬式船ノルゲ号で北極探険に出発。成功。 |
1927年 | 4月 | 日本、イタリアから購入した半硬式船N3号が就航。 |
1928年 | 9月 | ドイツ、LZ127、グラーフ・ツェッペリン号初飛行。 アメリカ、軟式客船ピュリタン号を建造。 |
1929年 | 8月 | ドイツのLZ127、グラーフ・ツェッペリン号が、初の世界一周に出発。 LZ127号が日本訪問。土浦に寄航(8月19日) LZ127号ドイツに帰着(8月29日) |
1931年 | 7月 | ドイツのLZ127号第二回北極飛行実施。 |
8月 | アメリカ海軍に大型硬式海軍船ZRS4、アクロン号就任。 | |
1936年 | 3月 | ドイツのLZ129、ヒンデンブルク号初飛行。 |
10月 | ヒンデンブルク号南米に定期就航。 | |
1937年 | 5月 | ヒンデンブルク号、アメリカ、レイクハーストで塗料の出火により炎上。 |
8月 | ドイツのLZ130、グラーフ・ツェッペリン2世号初飛行。 |
飛行船の今と未来(20世紀後半〜21世紀)
飛行機の時代になったとはいえ、飛行船はその後も飛び続けた。
1950~60年代は、グッドイヤー社を中心とするアメリカの飛行船の時代だったが、1968年には日本でも初の民間飛行船「日立キドカラー号」が飛ぶようになる。さらに、その翌年1969年にはドイツのWDL社が飛行船事業に着手。いずれも主に広告宣伝用であったが、飛行船はアメリカ、日本、ヨーロッパ各地などで飛び続けた。
そして1997年、ツェッペリン社は新時代の半硬式飛行船ツェッペリンNT(ニューテクノロジー)を開発・建造する。同機は3機建造され、1機は愛知万博の際に日本に来訪、そのまま2010年まで日本の空を飛び続けた。
航空機が大きく発達した現代でも、飛行機とは異なる特長を持つ飛行船は建造されて続けている。
高速で飛ぶことはできなくても自由な浮上、地球環境への適応など、様々なメリットが飛行船にはあり、世界で見直されているのである。もしかしたら21世紀後半に、新たな飛行船時代が来るのかもしれない。
1954年 | 5月 | アメリカ海軍ZPG2型が滞空200時間4分記録樹立。 |
1957年 | — | アメリカ海軍、ZPG2型船で滞空264時間14分を記録。 |
1958年 | 7月 | アメリカ海軍ZPG3W型1号船初飛行。史上最大の軟式船。 |
1959年 | — | アメリカのグッドイヤー社が戦後初の民間飛行船N4A、メイフラワー号就航。 |
1963年 | 9月 | アメリカのグッドイヤー社の2号船N3A、コロンビア号就航。 |
1964年 | — | アメリカのグッドイヤー社が新型イルミネーション”スカイタキュラー”の開発開始。 |
1966年 | 8月 | アメリカ、グッドイヤー社のメイフラワー号、スカイタキュラーを装備。ニューヨークでデモフライト。 |
1968年 | 8月 | 西ドイツの飛行船会社がレモ2世を改造、運航開始。 アメリカ、グッドイヤー社がヒューストンで第3号船アメリカ号を完成。 西ドイツ、WDL社が飛行船事業着手。 |
9月 | 日本で初の民間飛行船JA1001号(キドカラー号)が岐阜県各務原にてテストフライトに成功。 | |
1972年 | 8月 | 西ドイツのWDL社第1号船が完成。 |
1973年 | — | 日本でJA1002、WDL社製、岡本太郎デザインのレインボー号飛行。 |
1979年 | — | 日本、WDL社製ユニセフ号、国際児童年のキャンペーンとして全国フライト。 |
1984年 | — | 日本でJA1003、スカイシップ500、コダック号、宣伝飛行および東京サミット警備飛行に活躍。(〜88年) |
1986年 | — | 日本、WDL社製、フジカラー宣伝飛行。西ドイツからのチャーター。(〜87年) |
1987年 | — | 日本、スカイシップ600、コニカ号宣伝飛行。ナイト・サイン搭載。(〜88年) |
1988年 | — | JA1004、スカイシップ600、花博号、コダック号として日本飛行船事業でフライト。(〜96年) JA1005、WDL社製アサヒスーパードライ号。(〜89年) |
1989年 | — | JA1006、スカイシップ600、はるかぜ号、警視庁の広報・警備飛行。(〜96年) JA1007、WDL社製、アサヒスーパードライ号、M.O.エアシップで就航。ついでJA1008、2号機として関西地区で宣伝飛行。 |
1992年 | — | A-60ライトシップ、ゼナ号、日本飛行船事業でフライト。(〜93年) |
1993年 | — | ドイツで、ツェッペリン飛行船技術会社設立。新ツェッペリン号の開発開始。 |
1999年 | — | ドイツ、カーゴリフター社、大型貨物飛行船の開発開始。 |
2000年 | 7月 | ドイツでツェッペリンNT初飛行。2001年夏より遊覧飛行開始。 |
2003年 | 4月 | 日本でWDL社製「ニッセンチョッピー号」とライトシップA-60プラス「グッドイヤー社/スピリット・オブ・ジャパン号」が国内運航開始。 |
2004年 | 12月 | ドイツよりツェッペリンNT来日。 |